2026/09/10 10:19
今回は、少し長い話です。
「わたしのつづり帖」が、
なぜ写真とひとことなのか。
その根っこのところを、
一度きちんと書いておこうと思います。
撮る理由は、たいてい小さい
写真を撮るとき、
その理由をいちいち考えることはあまりありません。
うちの子が、いつもと少し違う顔をしていた。
出かけた先で食べたものがおいしそうだった。
いつもの道に花が咲いていた。
神社の境内に差し込む光が、なんとなく気になった。
かわいかったから。
おいしかったから。
きれいだったから。
なんとなく、気になったから。
ほんの少し心が動いて、
その瞬間に写真を撮った。
でも、一日に目にするものを
全部撮っているわけではありません。
たくさんのものを見て、
その中のほんの一つに目がとまって、
スマホを向けています。
そこには小さいけれど、
自分の選択があります。

写真には残らないものもある
以前、
「その写真、どうして撮ったんだろう」
ということを書きました。
写真には、
そのとき見えていた景色は残ります。
うちの子の顔も、
料理も、花も、御朱印も残ります。
でも、その瞬間に何を感じて、
どうしてスマホを向けたのか。
撮りたくなった気持ちそのものまでは、
写真には残りません。
それでも、
何を撮ったかという事実には、
小さな自分の選択が残っています。
一枚では分からなくても、
何枚かが並び、
時間がたってから見返したとき、
そのときの自分が
少し見えてくることがあります。

四つの帖に残るもの
「わたしのつづり帖」には、
御朱印、くさばな、外ごはん、ペットの
四つの帖があります。
ペットの写真には、
うちの子の姿だけではなく、
その姿をかわいいと思って見ていた自分がいます。
外ごはんの写真には、
料理だけではなく、
その日どこへ行き、誰と過ごしたかという
時間の断片が残っています。
くさばなの写真には、
名前を知らなくても足を止め、
季節の変化に気づいた自分がいます。
御朱印や境内の写真には、
そこまで歩いた道や、
その日に見たもの、
その時間を大切にした自分がいます。
四つの帖は、
四種類のものを整理する場所ではなく、
自分が何に心を動かしていたのかを、
あとから見つけるための
四つの入口なのかもしれません。
そのときは、意味が分からなくていい
写真を撮った瞬間に、
「なぜ私はこれを撮ったのだろう」
と考える必要はありません。
ひとことも、
立派な文章でなくていい。
「今年も咲いた」
「帰り道で」
「今日はよく寝てる」
「また来たい」
そのくらいで十分です。
一日分の日記を書かなくてもいい。
毎日続けなくてもいい。
撮らない日があってもいい。
そのとき残せる小さなものだけを、
置いておく。
写真だけでは消えてしまいそうな
その瞬間の気配を、
ほんのひとことで少しだけ留めておく。
意味は、あとからついてくることがあります。
並んでから、気づくこと
しばらくたって帖を開くと、
春の花と夏の花が並んでいる。
うちの子の少し前の顔がある。
あの日食べたものがある。
出かけた神社の写真が続いている。
本人は、
写真を整理したつもりはありません。
ただ、そのとき少し心が動いた一枚を
置いてきただけです。
それなのに、あとから見ると、
「今年もこの花を撮っていた」
「この頃、この子はよくここで寝ていた」
「この店に行った日は、あそこにも寄った」
「この神社へ行った頃は、こんな季節だった」
と、
写真の外側にあったことまで戻ってきます。
そして、そのもっと奥に、
自分はこういうものに
目をとめていたんだな。
という感覚が残ります。
これは、
自分を評価することとは少し違います。
こんなものを見ていた。
こんなところへ行った。
こんな時間を大切にしていた。
こんなことを、かわいいと思った。
そうやって、
自分の過ごしてきた時間を
静かに受け取ることです。
「ああ、私はこんなふうに暮らしていたんだな」
それだけでいいのだと思います。

写真を整理するためではなく
スマホの中には、
消すにはしのびないけれど、
わざわざ見返したりもしない写真が
たくさんあります。
だからといって、
全部を整理する必要はありません。
誰かに見せるために選ばなくてもいい。
きれいに分類しなくてもいい。
意味のある一枚かどうかを、
今決めなくてもいい。
そのとき撮りたくなった一枚に、
ほんのひとことを添えて置いておく。
「わたしのつづり帖」は、
そのための小さな場所です。
残しているのは、
写真だけではないのかもしれません。
写真と、ほんのひとこと。
その向こうに、
写真を撮りたくなった
そのときの自分の小さな痕跡も、
少しずつ残っていきます。
今日何気なくつづったことも、
やがて振り返るときに、
かけがえのないなにかに
気づくきっかけになるかもしれません。
その「なにか」は、
写真の中に写っているものだけではなく、
その写真を撮った自分の中に、
ずっとあったものなのだと思います。
明日をつづろう。
わたしのつづり帖
写真とひとことで、日々をつづる。
御朱印|くさばな|外ごはん|ペット
あなたなら、何をつづりますか。
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